麻の歴史
History of Hemp
CBDを知るにあたり、「麻の歴史」を学ぶことは欠かせません。
CANLIFEでは古代から近代に渡り日本の通史を研究している林 英次先生に「麻の歴史」についてお話を伺いました。
林 英次
歴史研究会会員・歴史学研究会会員
1960年生まれ
神奈川大学法学部卒業
三井住友ファイナンス&リース株式会社を60歳で定年退職。
もともと興味のあった日本史の研究に在職中から取り組む。
古代から近代まで10年以上に渡り通史を学ぶ。現在は近代における同化政策を研究中。
日本における麻の発見例
日本では、福井県三方郡の鳥浜貝塚の縄文時代前期の文化層、北海道江別太の縄文時代期層で発見されています。
文献上では、『魏志倭人伝』に「いね・いちび・麻をうえ」と記載があり、『後漢書倭伝』にも「土はいね・麻・いちび・くわによろしく」と記載があります。
また『魏志倭人伝』に243年に「倭王、・・・帛布(はくふ)・丹・・・上献す」とあります。
帛布とは絹と布のことです。絹は勿論ですがこの時代なので、麻も献上していた可能性がありますね。
麻と神話
古事記には、アマテラス大御神がスサナヲノ命の悪行を恐れて天岩屋戸に籠ったが、アマテラス大御神を天岩屋から出すために、岩戸の前で神事を行い、その際に麻を使ったと記載されています。
また、三輪山の神の箇所には、
「針をつけた麻糸は、入り口の戸の鈎穴(かぎあな)の中を通って表へと出ており、部屋の中には、三匂(さんわ)、すなわちわずかに三巻だけの糸が残っていた。
そこで通ってきた男が、鈎穴から出ていったことが分かり、糸を頼りにそのあとを訪ねていったところ、美和山に至って、そこの神社で終わりになった。
そこでこの男というのが、神の御子であることが分かった。
また、麻糸が三匂残っていたのにちなんで、この土地を美和、のちに三輪と言うのである」
と記載されています。
このような文献からも麻は古代から日本の文化に根差していたと考えられます。
麻と税金
平安前期に編纂・施行された三代格式の一つである『延喜式』に、中男作物(租税)としての麻の記載があります。麻は税金としても使われていたんですね。
また、麻を貢進するのは全国で13カ国、その半数近くが関東地方、中でも武蔵・下総・常陸の3国の貢進量が多かったとなっています。
のちに貨幣経済が進展し貢租の銭納化や生産技術の発展により、商品作物としての栽培を促していきました。
特に麻苧は、寒冷地に適していることから、甲斐・信濃・越後地方における特産品と用途を変えていきます。
麻の用途(布編)
麻は『日本史広辞典』によると狭義では大麻をさし、広義では苧麻(からむし)や明治期以降海外から持ち込まれた亜麻・ジュート・マニラ麻なども含みます。
大麻や苧麻は全国でも広く栽培され、木綿が普及する江戸時代までは、衣料材料の中心を占ていました。
麻の生産は農村の自給的な衣料調達法として根強く、越後縮(えちごちぢみ)、奈良晒(ならさらし)などの高級麻織物の生産が活発化していきます。
因みに奈良晒は、江戸時代文化・文政頃の1反の価格が価銀三、四十匁~金一両と、大変高価なものだったんですね。
現在でも奈良晒は製造販売されています。
江戸前期の儒学者・博物学者の貝原益軒『大和本草』巻六民用草類には「一名火麻雌ハ子アリ麻仁ナリ雄者・・・雌雄共ニ皮ヲトリテ布トス」云々と大麻の記載があります。
また、よく知られている愛知川商人が麻布の販売を行っていました。
このように江戸時代は、麻が生活に密着したものだっだんですが、明治期に入ると、勃興する機械制麻紡績業の原料用に亜麻栽培が導入され、在来種である大麻・苧麻栽培は縮小していきます。
更に衣料用としての需要も他の繊維製品の普及で限定的となっていくのですが、麻袋など衣料用以外の需要の開発により麻は新たな活路を見出していきます。
尚、明治10年における各農産物の生産構成比率での麻は、全国で0.6%となっています。
明治から昭和に至る過程で、麻は衰退農産物に数えられました。
その大きな理由として、和船の動力化に伴う船具としての網の需要変化などがあげられます。
麻の用途(食編)
江戸時代には、七味唐辛子が開発され販売されました。
その七味唐辛子の原料は、生の赤唐辛子・煎った赤唐辛子・山椒・黒胡麻・陳皮・芥子の実・麻の実となっています。
七味唐辛子を薬味というくらいですから当然身体に良いスパイスとして開発されたわけです。
近頃は多少中身が変わって赤唐辛子・黒胡麻・陳皮・山椒・麻の実・けしの実・青のりが一般的なようですが、現代においても重宝されている七味唐辛子には当然麻が使用されているわけです。
麻と神事
幣帛(へいはく)は律令用語ですが、神に供えるものの総称で一般的には繊維製品が中心で麻も含まれています。
これは『延喜式』に定めがあります。
その麻は、伊勢神宮が年末に授与する神札として利用されており、本来は祓えの具でした。
罪や穢れを祓い加護を得るものと観念されて神符とみられるようになり、神社における祭式や仏教行事にも使用されていきます。
新天皇即位後に行われる大嘗祭でも麻は使われていますね。
また広辞苑によると大麻は①伊勢神宮および諸社から授受するお札②幣(さぬ)の尊敬語。おおぬさ。等などと定義されていることから現代においても神事に深く使用されていることがわかります。
尚、仏教行事の使用例としては、迎え火、送り火には炮烙(ほうろく)を使い麻幹を焚くことが知られています
麻について(まとめ)
古代から麻は様々な面で使用されてきました。
今回は省きましたが縄や漁網、蚊帳、鼻緒、など使用は多岐に渡ります。
また皆さんが良くご存じの麻の葉模様。
今でも着物の図柄や伝統工芸品にも多く使われていますね。
また日本全国に麻の漢字を使用した地名や苗字も見受けられます。
これはその土地に麻が身近にあったことが考えられます。
私は史学が専門で植物学は専門外なので何ともいえませんが、歴史的見地からみてもこれだけ様々なものに使用されてきた植物は類をみないと思います。
また現代における麻は食、衣類、神事だけに留まらず健康部門からバイオマスまで余すことなく使用できると聞いています。
この健康部門からバイオマスについては私が在職中のころから耳に入ってきていました。
そう考えると麻は古代から現代においても究極のSDGs素材であることは間違いないと思います。
参考文献
- 福永武彦『現代語訳 古事記』河出書房新社 2003
- 石原道博『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』岩波文庫 1985
- 埴原和郎『日本人と日本文化の形成』朝倉書店 1993
- 小野武雄『江戸物価辞典』展望社 2009
- 藤岡謙二郎『日本地理総説 古代編』吉川弘文館 1975
- 藤岡謙二郎『日本地理総説 中世編』吉川弘文館 1975
- 藤岡謙二郎『日本地理総説 近世編』吉川弘文館 1977
- 藤岡謙二郎『日本地理総説 近代編』吉川弘文館 1977
- 三谷一馬『江戸年中行事図聚』立風書房 1988
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻. [1] – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
- 新村出『広辞苑 第六版』岩波書店 2008
- 日本史広辞典編集委員会『日本史広辞典』山川出版社1997